会津彼岸獅子の伝統芸能をここに受け継ぐ - 伝統芸能 下柴彼岸獅子舞

福島県指定重要無形民族文化財

会津盆地の北部に位置し、周囲を山々に囲まれた風光明媚なところで癒しの風景に出会える。

雪が解けた彼岸に下柴彼岸獅子舞が春を告げる。この獅子舞を受け継ぎ伝える男たちのドラマがここにある。

ナレーション・吉田慶子
下柴彼岸獅子舞
p1入場 みち笛
p2演舞一種 山おろし
p3差配頭(団長)
p4小僧と付き人
p5演目めくり人
p6弓持ち人

受賞歴

平成29年1月27日
全国税理士共栄会文化財団より伝統芸能保存継承活動に賞状を受賞する。
平成24年11月17日
第61回全民俗芸能大会で日本青年館および文化庁長官から感謝状を受賞する。
平成24年8月5日
第51回北上・みちのく芸能まつりで感謝状を受賞する。
平成21年2月19日
福島県文化振興基金より表彰状を受賞する。
平成19年4月21日
ユネスコよりユネスコ地域文化功労賞を受賞する。
    
平成12年10月1日
第44回福島県民俗芸能大会で感謝状を受賞する。
平成9年8月8日
第36回北上みちのく芸能まつりで感謝状を受賞する。
平成5年9月12日
第35回北海道・東北ブロック民俗芸能大会で感謝状を受賞する。
昭和62年7月
福島県無形民族文化財の指定を受ける。
昭和61年8月8日
第25回北上みちのく芸能まつりで感謝状を受賞する。
昭和52年11月6日
第27回福島県民俗芸能大会で感謝状を受賞する。
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会津彼岸獅子の由来

こうした「会津彼岸獅子舞」には、発祥伝説がいくつか伝承される。その一つは、天喜四年(1056)に、源頼義・義家父子が安倍頼時を討伐するとき、会津若松地方でこの獅子舞を演じて兵士の士気を鼓舞したといい、それがこの地に伝わったとするもの。また、さきの下柴地区に伝わるものは、天正二年(1574)、この村に悪疫が流行し、人々が困っていると、どこからともなく「異人」が現れて、「神を拝し、獅子舞を彼岸に舞えば、災難は必ず免れるであろう」と告げたので、獅子舞を始めたという。
「下柴村」には、もうひとつ、寛永年間(1624~43)に、下野の国(栃木県)河内郡上河内町関白から移り住んだ古橋覚(角)太夫から獅子舞を伝授されたという伝えがあり、その覚太夫の墓といわれる五輪の塔が現在、下柴地区の安楽寺墓地に残されている。
すると、「会津彼岸獅子舞」の発祥伝説で最も古いのは、前九年の役の源顆義のもので、次は下柴地区の伝えとなるが、多少史実として信じられるのは後者の伝えからであろう。  
また、古橋覚太夫が伝えた獅子舞は、下野の国の「天下一関白神獅子舞」であった。これが関白といわれた藤原利仁公の霊を慰める「供養獅子」に発していたので、会津の地に伝わってからも、祖先の霊を供養する舂の彼岸に行うのは、下野の国以来の信仰を重んじてのことであった。
日本の獅子舞(Ⅰ)より転載

しかし、会津の彼岸獅子は現在のところ寛永年間(1624~43)に、下野国(栃木県)の古橋角(覚)太夫が喜多方下柴に移り住み、伝授したのに始まると考えられている。下柴の菩提山安楽寺の境内には、その墓といわれる五輪塔が残っており、多数の文書も伝えられているが、中には縁起的なものもあり、寛永年間の伝来というのは記録はなく伝承である。しかし、下柴の獅子舞を享保九年(1724)に会津若松の天寧に、明和五年(1768)に河東の郡山に、寛政九年(1797)に会津若松の上荒久田と滝沢に、さらに文政十一年(1828)に米沢の梓山にと、それぞれ伝授したことを示す文書があり、会津の彼岸獅子のいわば祖として重要な役割を果たしたことがわかる。
会津の民族芸能より転載

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伝統芸能保存団体 下柴獅子団

福島県喜多方市関柴町下柴地区
広報渉外担当:綾田 成樹 お問い合わせ:090-5353-5962

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