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下柴彼岸獅子舞

福島県指定重要無形民族文化財
下柴獅子団
広報渉外担当 綾田 成樹

TEL.090-5353-5962

会津彼岸獅子の由来

会津彼岸獅子の源流こうした「会津彼岸獅子舞」には、発祥伝説がいくつか伝承される。その一つは、天喜四年(1056)に、源頼義・義家父子が安倍頼時を討伐するとき、会津若松地方でこの獅子舞を演じて兵士の士気を鼓舞したといい、それがこの地に伝わったとするもの。また、さきの下柴地区に伝わるものは、天正二年(1574)、この村に悪疫が流行し、人々が困っていると、どこからともなく「異人」が現れて、「神を拝し、獅子舞を彼岸に舞えば、災難は必ず免れるであろう」と告げたので、獅子舞を始めたという。
「下柴村」には、もうひとつ、寛永年間(1624~43)に、下野の国(栃木県)河内郡上河内町関白から移り住んだ古橋覚(角)太夫から獅子舞を伝授されたという伝えがあり、その覚太夫の墓といわれる五輪の塔が現在、下柴地区の安楽寺墓地に残されている。
すると、「会津彼岸獅子舞」の発祥伝説で最も古いのは、前九年の役の源顆義のもので、次は下柴地区の伝えとなるが、多少史実として信じられるのは後者の伝えからであろう。
また、古橋覚太夫が伝えた獅子舞は、下野の国の「天下一関白神獅子舞」であった。これが関白といわれた藤原利仁公の霊を慰める「供養獅子」に発していたので、会津の地に伝わってからも、祖先の霊を供養する舂の彼岸に行うのは、下野の国以来の信仰を重んじてのことであった。
日本の獅子舞(Ⅰ)より転載

しかし、会津の彼岸獅子は現在のところ寛永年間(1624~43)に、下野国(栃木県)の古橋角(覚)太夫が喜多方下柴に移り住み、伝授したのに始まると考えられている。下柴の菩提山安楽寺の境内には、その墓といわれる五輪塔が残っており、多数の文書も伝えられているが、中には縁起的なものもあり、寛永年間の伝来というのは記録はなく伝承である。しかし、下柴の獅子舞を享保九年(1724)に会津若松の天寧に、明和五年(1768)に河東の郡山に、寛政九年(1797)に会津若松の上荒久田と滝沢に、さらに文政十一年(1828)に米沢の梓山にと、それぞれ伝授したことを示す文書があり、会津の彼岸獅子のいわば祖として重要な役割を果たしたことがわかる。
会津の民族芸能より転載